身の丈、身の丈って・・・自分で言っても人から言われることじゃない!
この言葉、バカとかデブとか、貧乏とかケチとかと同じ類いのもので、自分で言うのは良いけど、人から言われるとなんか嫌な言葉に感じるのはmattunmamaだけでしょうか?
mattunmamaも自分で自分の事“ケチ”と言ったりしてますが、人から言われてたら、多分落ち込みます。
“おバカな私”とかも言ったりしますが(書きますが)、人から
「mattunmamaはバカだ」と言わたら、とりあえずその日はお風呂の中で
「バカにバカって言うヤツの方が、バカやから~!!」って
5回くらいは口に出して言って、言った人の事ずっと忘れません!(怖いでしょ。)
この言葉使う人増えてませんか?
あの大臣の発言があってから、この言葉使う人、増えてませんか?
使いやすいからでしょうか?
今日、電車の中でツイッターやらブログやらニュースやらを見てて、3回ほど目にしました。
mattunmamaは意味が同じなら
「身の丈に合った車を選びましょう!」と言われるより
「各自経済的事情や、世帯での収入に合わせて車を選びましょう!」
と言われる方が、すんなり「ああそうね!」と思えます。
意味を調べました
なぜ、嫌な気持ちになるのか?と思って意味を調べてみました。
身の丈
身長を意味する語であり、それより転じて「自分にふさわしく十分な程度」も意味する語。類語に「身の程」や「分」などがある。
実用日本語表現辞典より
身の程
とありました。
やっぱり・・・
「自分にふさわしく十分な程度」
「自分の能力・地位などの程度」
自分で自分の事を言う言葉なんです。
人から言われる言葉じゃない。
だから「各自経済的事情や、世帯での収入に合わせて」と言われたら
「ああそうか」と思う事が
「身の丈に合わせて」と言われるとなんか頭の中で“カチン”と音が鳴るんです。。
何にだってなれるんです!
mattunmama高校生の時、小中学校の時の友達が集まって遊ぶことがありました。
家が近く仲の良かった男子が
「mattunmamaちゃん(その時は結婚してないのでmattunでもmamaでもありませんが)スゴイ先輩がいるから、会わせてあげるわ」
と言ってみんなで遊ぶ日に2歳年上の男の人を連れてきました。
私が会話の中で
「あの子の家はメッチャ大きくて、お金持ちやから良いよね!」と言ったら
その先輩に
「mattunmamaちゃんは、大きな家に住みたいの?」と聞かれました。
私「うーん、大きい家に住みたいか?と言われたら、そうでもないかも?
掃除も大変やし・・・。『おーい』って言ったら家族が集まるような、
声の届くくらいの家が良いかな。」
先輩「じゃあ、大きい家やからって羨ましがる必要はないよね?
それにmattunmamaちゃんは、これから何にだってなれるし、
大きい家に住もうと思って頑張ったら、あの子の家より大きい家に住むこと
だって出来る!mattunmamaちゃんの住みたい家に住める!!
それに、これから住めるということは、「手に入れる」という達成も
得られる。それは与えられるものよりも絶対に大きいよ!
その300円の髪留めだって、自分のバイトしたお金で買ったから
嬉しいんでしょ。」って言われました。
ホンマに19、20歳くらいでそんな事を言う人、今から思えばスゴイ^^
mattunmama当時は素直だったので、
『そっか!私、頑張れば何にだってなれるんや!』って思いました!
大人になって、「私も一人の人間、何にだってなれるわけじゃない」って
分りましたけど。
だけど、金持ち母ちゃん目指してますから!
人から「身の丈」にあった、とか
「身の程」を知って、なんて言葉で測られたくない。
自分では身の程をわきまえてるつもりです。
子供に「身の丈」を使うのはミスマッチ
書いてて思いましたけど、子供の事に「身の丈」という言葉は合いません
『自分にふさわしく十分な程度』って・・・
子供の身長(能力)は1年でめっちゃ伸びます。
今年は十分でも、来年は十分じゃなくなります。
親の「身の丈」はあるかもしれないけど、
親の「身の丈」で子供の話してほしくないですよね。
親になってすごい思います。
まとめ
話がそれてしまいました。
「身の丈」って言葉、最近よくいろんなところで見聞きするけど、自分の事をいう言葉なので、人には使わないように注意したいです!って言いたかったのに、
「身の丈」連呼してしまいました。。。